医療分野の知的財産について
今回は、最近、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)絡みで話題になることが多い医療分野の知的財産について少々お話致します。米国を含む12か国に適用されるオリジナルのTPP(TPP12)からの米国の離脱(2017年1月)を受けて、米国抜きのTPPであるTPP11(新名称「環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定」(Comprehensive and Progressive Agreement for Trans-Pacific Partnership、略称: CPTPP)が2017年11月に大筋合意されました。TPP11においては、TPP12の規定のうち知的財産分野の11項目を含む20項目が凍結(suspend)されました。凍結された知的財産分野の11項目は以下です: 〇知的財産の内国民待遇(18.8(脚注4の第3-4文), 〇特許対象事項(18.37.2、18.37.4の第2文), 〇審査遅延に基づく特許期間延長(18.46), 〇医薬承認審査に基づく特許期間延長(18.48), 〇一般医薬品データ保護(18.50), 〇生物製剤データ保護(18.51), 〇著作権等の保護期間(18.63), 〇技術的保護手段(18.68), 〇権利管理情報(18.69), 〇衛星・ケーブル信号の保護(18.79), 及び 〇インターネット・サービス・プロバイダ(18.82、附属書18-E、附属書18-F)(出展:内閣官房TPP等政府対策本部が発表した「TPP11協定の合意内容について」(2017年11月11日)。したがって、TPP11が日本の知的財産に与える影響については未だ明確ではありません。ここでは話題を理解する上で参考になる情報についてお話します。
医療行為について:
知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(Agreement on Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights、通称TRIPS協定)の第27条には、加盟国は「人又は動物の治療のための診断方法、治療方法及び外科的方法」を特許の対象から除外することができると定められています。
人間に対する医療行為(手術、治療又は診断する方法)については、米国やオーストラリアなどのごく少数の国を除いて、特許保護の対象として認められていません。日本、欧州、中国、韓国などにおいては、現在のところ、人間に対する医療行為に関する特許は取れません。
一方、TPP11の18.37.3には、以下のように規定されています。
「締約国は、また、次のものを特許の対象から除外することができる。
(a) 人又は動物の治療のための診断方法、治療方法及び外科的方法
(b) 微生物以外の動物並びに非生物学的な方法及び微生物学的な方法以外の動植物の生産のための本質的に生物学的な方法」
因みに、米国では医療行為に関する特許を取得することは可能ですが、医師に対しては特許権を行使することは出来ません。しかし、全く権利行使が不可能という訳ではなく、以下のような場合に権利行使出来る可能性があります:
- 医薬の投与方法の特許を侵害する行為は、医師であっても免責されない可能性がある。
- 製薬企業が医師に医薬を提供する行為も間接侵害(寄与侵害)に該当する可能性がある。
- バイオテクノロジー特許を侵害する行為は、医師であっても免責されない。
日本でも医療行為を特許保護の対象に含めるべきかという点は以前から議論されておりますが、ごく限られた例外を除いて今までのところ実現には至っておりません。
韓国においても米国とのFTA締結に伴い、2012年特許法が改正され、特許出願に関する所謂「グレース・ピリオド」が米国と同様に1年間に変更されましたが、医療行為は特許の対象外のままです。日本も、医療行為を特許の対象と認めることに同意することはないように思われますが、はたしてどうなるでしょうか。
動物に対する医療行為について:
人間に対する医療行為(手術、治療又は診断する方法)だけでなく、動物に対する医療行為についても、特許保護が認められていない国があります。
参考までに、各国における「医療分野における方法」(医療行為や準医療行為)の特許保護可能性の概要を下記表に示します。
各国における「医療分野における方法」(医療行為や準医療行為)の特許保護可能性の概要 |
|||||
|
手術方法 |
治療方法 |
診断方法 |
測定方法 |
動物に対する 医療行為 |
米国1) |
O |
O |
O |
O |
O |
オーストラリア2) |
O |
O |
O |
O |
O |
日本 |
× |
× |
× |
△3) |
O |
EP |
× |
× |
△4-1) |
△4-2) |
ヒトについてと同様 |
カナダ |
× |
× |
△5) |
△5) |
ヒトについてと同様 |
ニュージーランド |
× |
× |
△6) |
△6) |
O |
韓国 |
× |
× |
× |
△7) |
O |
中国 |
× |
× |
× |
△8) |
ヒトについてと同様 |
台湾 |
× |
× |
△9-1) |
△9-2) |
ヒトについてと同様 |
マレーシア |
× |
× |
△10-1) |
△10-2) |
ヒトについてと同様 |
インド |
× |
× |
△11-1) |
△11-2) |
ヒトについてと同様 |
インドネシア |
× |
× |
× |
× |
× |
注1)(米国) 医師・医療機関の特許侵害に対して部分的な免責規定がある。即ち、米国特許法第287条の第(c)項(いわゆる「免責規定」)により、(1)医師が侵害に該当する医療行為を実施した場合は、差止請求権・損害賠償請求権などの規定は該医師又は該医療行為に関与する関連医療機関には適用されない。(2)ただし、該「医療行為」とは、身体に対する医療的又は外科的処置を施すことをいうが、次に挙げる行為は含まないものとする。(i) 特許された装置、製造物または組成物の侵害的使用、(ii) 組成物の使用に関する特許の侵害的実施、及び (iii) バイオテクノロジー特許を侵害するプロセスの実施。
注2)(オーストラリア) 医師・医療機関の特許侵害に対して免責規定は無い。
注3)(日本) 手術工程・治療工程を含まず、また医療目的で判断する工程を含まない、人体に対する測定方法は、特許対象である。また、検体の分析・測定方法は特許対象である。(審査基準 第 III 部 第1章 発明該当性及び産業上の利用可能性、3.1.1と3.2.1参照。)(医療行為が特許の保護対象とならない旨を述べた判決は以下:東京高裁 平成14年4月11日判決 平成12年(行ケ)第65号 審決取消請求事件。この判決については、「医師による医療行為に対して効力除外規定を設けた上で、医療行為を特許の対象とすべきであると判示しているとも解釈でき」るとする見解がある(淺見節子、「医療行為の特許性」、特許判例百選(第三版)、p19、有斐閣、(2004)。)
注4-1)(EP) 検体を用いた診断方法は特許対象である(EPO Guidelines for Examination, G-II, 4.2.1参照)。
注4-2)(EP) 手術工程を含まない、診断プロセスに至らない人体に対する測定方法は特許対象である(EPO Guidelines for Examination, G-II, 4.2.1参照)。
注5)(カナダ) 手術又は治療の工程を含まない人体に対する診断方法は特許対象である(カナダ国知財庁の特許審査ガイドラインによる)。
注6)(ニュージーランド) 手術工程を含まない人体に対する診断方法は特許対象である(ニュージーランド国知財庁の特許審査ガイドラインによる)。
注7)(韓国) 人体に直接的でかつ一時的でない影響を与える工程を含まない限り、人体に対する測定方法(臨床的判断を含まない)は特許対象である(韓国知財庁の特許審査ガイドラインによる)。
注8)(中国) 手術工程を含まない、診断プロセスに至らない人体に対する測定方法は特許対象である。また、診断プロセスに至らない検体の分析・測定方法は特許対象である。(中国知財庁の特許審査ガイドラインによる)
注9-1)(台湾) 検体を用いた診断方法は特許対象である(台湾国知財庁の特許審査ガイドラインによる)。
注9-2)(台湾) 手術工程を含まない、診断プロセスに至らない人体に対する測定方法は特許対象である(台湾知財庁の特許審査ガイドラインによる)。
注10-1)(マレーシア) 検体を用いた診断方法は特許対象である(マレーシア国知財庁の特許審査ガイドラインによる)。
注10-2)(マレーシア) 手術工程を含まない、診断プロセスに至らない人体に対する測定方法は特許対象である(マレーシア国知財庁の特許審査ガイドラインによる)。
注11-1)(インド) 検体を用いた診断方法は特許対象である(インド国知財庁の特許審査ガイドラインによる)。
注11-2)(インド) 手術工程を含まない、診断プロセスに至らない人体に対する測定方法は特許対象である(インド国知財庁の特許審査ガイドラインによる)。
医薬品の特許期間とジェネリック医薬品:
現在、日本において特許の存続期間は出願から20年であり、医薬品の場合、最大で5年間の延長が認められます。特許が有効に存在している間は、第三者は特許権者の許可なく発明を実施することは出来ません。即ち、第三者は、許可無く、特許された医薬品を製造・販売することは出来ません。日本の場合、特許権の存続期間の延長登録の理由となる処分を複数回受けた場合は複数回の延長が可能です。一方、米国と欧州では、延長は1回のみ可能です。
特許期間が満了すると、第三者が、特許権者の許可無く発明を実施できるようになります。医薬品の場合、先発医薬品が認可を受けていれば、簡単な審査で特許製品と同様の医薬品の認可が下ります。研究開発費などはかかっていないわけですので通常、先発医薬品よりも安価に提供され、そのような医薬品を通常「ジェネリック医薬品」と称します。
更に、TRIPS(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)においては、ジェネリック医薬品製薬会社が既存の医薬品の臨床データを、薬剤認可を受ける際に利用することを許容しています。臨床データの取得は、時間と費用がかかるため、臨床データが不要であることはジェネリック医薬品の価格低下に大きく寄与しています。
また、2010~2012年頃にかけて大型医薬品(ブロックバスター)の特許が一斉に切れるという所謂「2010年問題」が、かつて話題になりました。予想された通り、「2010年問題」では、大手製薬会社の多くがジェネリック薬品に市場を奪われ、大打撃を受けました。いまだに子会社の整理やリストラが続く会社もあるようです。ジェネリック大国である中国・インドなどが、この機を大きなビジネスチャンスとしました。